今振り返れば、初潮を迎えた時から生理痛が重く、2回目の生理がきたのは初潮から半年後でした。
中高校生時代も時々しかこない生理。
そして久しぶりにきたらきたでかなり重い生理痛に苦しみました。
生理の度に鎮痛剤が手放せず、生理がくるのがとても憂鬱でした。
おかしいと思いながらも、そんな重い生理なら時々しかこないのでラッキーだと軽く考えていたのです。
そんな私が重い腰を上げたのは成人をしてから。
いつか子どもが欲しいと思い、自分の身体を整えようと産婦人科を受診しました。
ただでさえ初めての産婦人科はハードルが高かったにも関わらず、ツンとした女医さんは私の卵巣を診て一言。
『これじゃ妊娠は無理だね』
20歳そこそこの乙女←自分で言うな!
に、よくそんなことが言えるなと怒りと悲しみで涙が止まりませんでした。
初めて聞いた
多嚢胞性卵巣
という言葉。
続けて先生は、食事が大事だから
食事日記
を継続してつけるようにと言いました。
今になって思うと、その時に厳しい言葉を言っていただけたおかげで、それから自分の体にしっかり向き合うことができ、多嚢胞性卵巣だと分かったことで早めに体質改善に取り組むことができたのだと感謝しています。
だけどその当時は受け止めることができず、通院をやめてしまいました。
数年後、ふと気になりまた別の病院へ。
多嚢胞ではないと言われ安心しました。
でも、あのネックレスサインはなんだったの?と気になりまた別の病院へ。
また多嚢胞ではないと言われて生理不順ならと今度はピルを処方されました。
一ヶ月飲んでみましたが、副作用が出て私の体質には合わずやめてしまいました。
そしてまた別の病院へ。
またもや多嚢胞ではないと言われました。
そして生理不順ならと漢方を処方されました。
3件とも多嚢胞ではないと言うではないですか!治ったんだとその時は喜んでしまいました。
長くなったので続きはまた次回書きます。
最後までお読みくださりありがとうございました。
0コメント